ペーター・コンヴィチュニー合流・23日アフタートーク
昨日の稽古から、二期会『サロメ』の演出家ペーター・コンヴィチュニーが合流した。
久しぶりの再会に、つい私は「おはようございます、よろしくお願いします」と日本語で言ってお辞儀をしてしまうのだけど、日本風をまねて深々とお辞儀を返してくるペーターのお辞儀はどうしても和風にはならない(笑)
この舞台作品『サロメ』の描く舞台は「男がつくり上げた社会」であり、その社会の規範に従うことを拒否して自分の希望(欲望)を訴えるサロメという女がいる。そのようなサロメが、最後はやはり男たちによって楯で押しつぶされて殺されてしまう、という結末は、サロメという「女性」に近づけば近づくほど、重苦く、気分の悪いものになる。サロメが死ぬ、という結末はだから間違っていると思う、と彼はいうのだ。抑圧的な社会の中で自由を訴える女がいる。それはひとつの希望だ。その女を殺すこと、希望をつぶすこと、そんなことをシュトラウスは書きたかったのではないと。倒錯的なのはサロメではなく、社会の方なのだと。
それに『サロメ』といえば、「実際に舞台で裸が見れるのかどうか」、そればかりが問題になるような状況って最低ではないか。僕は最低だと思う。それにこれほど力強く絶望的な音楽が、服を一枚ずつ脱ぐ、というだけの描写で表わされるべきだろうかと。
その辺の話はね、すごく納得できる。私にとってもまだすべてがクリアーになったわけではないけど、彼の言いたいことをこれからももっとよく理解していきたい。そんな彼に疑問をぶつけたい人は、2月23日(水)の公演後に直接質問をすることもできるアフタートークが開催されます。話し好きのペーターが彼の哲学をじっくり語ってくれるでしょう。お勧めです。
http://www.nikikai21.net/blog/2011/01/223.html
『アイーダ』でも『トリスタン』でも、彼の演出では愛するカップルは死なない。「愛」というものは彼にとっては成就してほしい、すべきものなのでしょうね。
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