書籍・雑誌

2013年5月 3日 (金)

外国語上達法

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1986年に出版されたそうなので少し古い本ですが、おもしろかったです。すこし身が引き締まりました。

 

外国語の上達に必要なものは二つ、「お金と時間」だそうです。私も心当たりがありますが、外国語を勉強したことがある人ならだれでも共感できるのではないでしょうか。もしかしたらほかの人は自分より時間とお金をかけないで外国語を習得したのではないか、という気持ちがよぎることがあるかもしれませんが、なかなかそういうことはないのだと思います。あたえられただけの頭脳を使ってやっていくしかありません。

 

夏に蝶々夫人のお稽古が始まる頃にはイタリア語が少し喋れていたいので、二期会の研修生だった頃からすっかりサボっていたイタリア語を勉強し始めることにしました。

2012年9月12日 (水)

Eメールのフランス語

来週からはまた更新が滞ってしまうような気がするので、今日更新することにします。


何から書こうかな…。そういえばこの頃トナカイの本番のことを書いていませんでした。何を歌ったか記録…ではすでになくなってしまいました。8月は25日に福田玲子さん、東小野修さんと、9月は7日に高橋維さん、小野弘晴さんと一緒に出演しました。


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日の出演日はお客様が少なくて18名様というお客さまだったのですが、全員スーツを着た男性でした。それに特にクラッシックファンという感じの雰囲気でもなかったので、ヴェリズモオペラの重唱なんか聴いてもちっとも面白くないんじゃないか…と思って心配しながらステージを進めました。


お楽しみいただけたかどうか気になったので終演後に少しお話を伺ったのですが、するととても意外な答えをいただきました。すこし前のことになるので正確には引用できないと思うのですが、オペラの歌を聴くというのは大変『非日常』の時間で、それで仕事上の新しいアイデアが浮かんだ、と。帰ったらまず忘れないうちに書きとめなければ、というようなことをおっしゃったのです。


もう少し伺うと、人間てすごく大きくてきれいな声が出るんですね。肩は全然動かないんですね。口の動きとか、そういうところばかり見てました。理系なんで。とおっしゃった方もいらっしゃいました。皆さま、医療機器関係の会社や、研究者や、そういう関係のグループでいらしたそうです。日常生活では使わない声量の共鳴はどうやっているのだろうかと、そういうところをご覧になっていたのかもしれません。そしてどういうアイデアが浮かんだのはわからないのですが…。私がすごく劇的に芝居をしていたことは、あまり意味がなかったかもしれません。


お客さまにはステージが『非日常』の時間だったかもしれませんが、私にとってはステージ後のこの一言が『非日常』な時間で、意外な異業種交流となりました。興味のポイントというのは本当にそれぞれですね。声の大きさだけではなくて、音楽自体も、心の中にはいって行ってくれていたら良かったのですけれども。是非また聴いてくださったら、と思います。


それからほかに何をしていたかというと、そういえば近ごろ再び、少しばかりフランス語を勉強していました。ある合唱団でテオドール・グヴィ(Théodore Gouvy
)という作曲家のスターバト・マーテルの楽譜を購入したかったのですが、この楽譜を扱っているグヴィ協会の方達は英語が全然お出来にならなかったので、楽譜購入の際のメールのやり取りの翻訳を頼まれました。私のフランス語力はかなりお粗末なのですが、楽譜を買うためのメールくらいは読んだり書いたりできるだろうと思ってお引き受けしたのです。


ずっと昔にフランス語科を卒業してから、翻訳などのお仕事をしたことは一切ありませんでした。まぁ私がすごくひどい学生だったことを知っている方は、私に仕事は頼まないでしょう。近年はずっとドイツ語を勉強していましたが、私はドイツ語の場合は理解することと、コミュニケーションをとることを中心に勉強しましたので、ドイツ語を使うときはドイツ語で考えますし、ドイツ語でも翻訳の練習はしたことがありません。


当然のことながら、理解することと翻訳することとは別のことです。もちろん原文を理解できないと訳すことはできないのですが、しかし翻訳するというのはふさわしい「日本語の文章を書く」ということです。日本語とフランス語とでは文章自体の組み立て方も違うのですが、いろいろな言い回しや、手紙文ならではの決まりごとなどもあり、もちろん敬語の仕組みも全然違います。「書いてあることをすべて正しく訳すと、正しい翻訳じゃなくなる(たとえば奇妙な文章になってしまったりして、内容が正確に伝わらないかもしれません)」ということがすごく顕著だということがわかって、とても興味深かったです。

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お仕事に取り掛かる前にこの本を買って読みました。もちろん私がフランス語科の学生だった時にはEメールというものは出回っていませんでしたし、メールでは当然使わなければならない「添付ファイル」などという言葉は覚えなければなりませんでした。それから饒舌なフランス人が手紙文のあとに付ける結辞などはたくさんの例文が載っていますし、また全体に平易な文章を使っていますので、私のリハビリにはとても役に立ちました。


それから私にとっていちばん役に立ったと思うのが、それぞれの例文につけられている訳文です。やっぱり言葉のプロの人は上手に訳すものだ、と感心しました。原文の言い回しに引っ張られると、訳した日本語が不自然になる場合がありますが、内容は正しく維持しながら文体を正しい日本語にしてゆく書き方が素晴らしいと思いました。もちろん、著者はこの道の専門家ですから当然なのでしょうけれども。


今年はひさしぶりにフランス語のオペラも歌う予定なので、フランス語自体も、もう少しじっくり勉強したい気もするのですが、忘れかけ始めたドイツ語も勉強したいと思っていて、迷うところです。

2011年11月 7日 (月)

酵素力革命

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近頃、酵素ダイエットというものが流行っているそうですが、この本の著者の新谷弘実さんはその流行のずっと前から、健康であるためには酵素が重要なカギを握っている、という本を書いています。(『病気にならない生き方』サンマーク出版)

新谷弘実さんという人を知ったのは、鈴木雅明さんが激痩せをした時です。まだ私がBCJに参加していたころだったから、5年くらい前だったかなぁ。雅明さんが急に痩せられたときがあったので「ダイエットしたんですか~?」としつこく訊くと、水をたくさん飲んでいるとか、食事のときよく噛んで食べている、という一連の話のあとに、新谷さんの『病気にならない生き方』を読んだ、と教えてくれたのです。 

水を飲むこと、食事のときによく噛むことのほかに、肉食を減らすこと、寝る直前には物を食べないことなどは他の健康食を解説した本にも書いてあることだけど、牛乳は本来、人間の大人が飲むものではない、とか食生活に気をつければ癌にならない、などということをこれほど劇的に書いている著者を私はほかに知りません。『病気にならない生き方』はできるだけたくさんの人に読んでほしい、という目的で活字も大きく、文章も平易に書かれていますが、それまでには健康食的な本を読んだことがなかった当時の私には驚く部分も非常にたくさんありました。

新谷さんの新しい本が何冊か出ているらしかったし、表紙にはニューザイムという新しい言葉も書いてあったので、これも読んでみようと思って新しく手に取ってみたのでした。この本で言っていることは、「細胞内で解毒分解に関与する酵素」をまとめてニューザイムと呼び、これらの酵素がきちんと免疫機能を果たせるように、しっかりと酵素を補給しつつ、また酵素が働きやすい体内環境を整えるように過ごしましょう、ということでしょうか。

胃腸が弱いくせに「肉」を食べることは力の源だと信じて焼き肉屋さん通いをしてはお腹をこわしてるような人が私の友人にもいます。「胃腸が弱い」というとなんだか「繊細さ」をアピールしてるようでネガティブな印象は少ないかもしれないのですが、仕事の質と健康とは密接なつながりがあります。忙しさ自慢、病気自慢は格好悪いと常々思っています。ただただ若い時間はすでに過ぎ去ってしまったということで、時間がある時はいろいろな情報を仕入れておきます。

2011年11月 3日 (木)

Der Geschmack von Apfelkernen

Der Geschmack von Apfelkernen

Katharina Hagena

読書日記はまったく更新していなかったけど全然本を読んでいなかったわけじゃない。この本はでもすごく時間がかかって読了したので載せておこう!

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ドイツ語の本は何でもすらすら読めるわけじゃないので、時間をかけても読む価値のある本が読みたい。もちろん難易度という問題もあるし。ここ数年はゲーテ・インスティテュートの上級試験KDSの課題図書に入っている小説を選んで読んでいた。きっとそれなりにいい小説を選んでいると思うしね。もちろんあわよくばKDSを受験しちゃおうかな、とも思っていなかったわけじゃない。でもなんということ、KDSは今年の11月で終了してしまうし、筆記試験の118日は都合が合わないので、結局KDSを受験することはできなくなってしまった。来年からは上級のためにはC2試験のみになるらしい。


ということでこの本もKDSの課題図書の小説でした。ここ数年、何冊かのドイツ語の小説を読みましたが、いろいろなスタイルがありますね。この本は主人公の祖母が亡くなって田舎でのお葬式に集まるところから始まります。お婆さんが住んでいた家は彼女が相続することになります。この家に一人で住み始めますがその間、お婆さんの3人の娘や、子供の頃この家で一緒に遊んだ従兄弟たち、またお婆さんのことを好きだった近所のおじさんや、家族の間のいろいろなこと、それらが想い出の中にいろいろ蘇ってくるように書かれていて、淡々とした中にも深く感じさせるものがあり、とても素敵でした。

難しいのは、そんな風に登場人物が多いので、たくさんの横文字の名前の中で、それが何番目のおばさんだったのか、従兄弟だったのか、誰のことだったのか、人間関係がわかりにくくなったことでした。言葉的に理解できてないところもあるだろうしもう一度読むといいんだよなぁ(でもめったに2度目は読まないんだけど)、2度目に読むときは系図を書きながら読もう、と思っていましたが、さっき本の画像をもらうためにAmazon.deにいって、ついでにカスタマー・レビューを見てみたら「登場人物が多すぎて誰が誰か分からなくなって話がわかりにくかった」と書いている人がいた。母国語人でもそうなら、私にわかりにくくても仕方ないか!


どうだろう、もうちょっとすらすら読めるくらいに語彙を増やすといいんだろうな。

2011年1月30日 (日)

失われた時を求めて① 新潮社

 電車に乗っている間ぼんやりした頭で読んだ本の感想をブログに書くなんて、しかもこんな大作についてなんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど無理なのだけど、とりあえず読んだ記録として。2011年の正月は奥多摩ハイキングを始め、ランニングも回数を増やし、プルーストまで読み始めたという、私にとっては意欲満々の年明けなのだ。

 そうなのだ。こんな有名なものをまだ読んでいなかったのだ。でも読もうと思って学生のころ買って本棚に入れてあった。そのとき普通に売ってたのはこの新潮社のものだけだったと思うんだけど、18,540円もして(消費税が3パーセントの時代だったのですね)私には高かった。貧乏な私にはすごく思い切った買い物だったのに、それなのになぜか読まずにここまで来てしまった。こんなに長いとなると、読み始めるだけでも気力が必要だし、それに歌を始めてからしばらくは小説を全く読まない時間が続いた。あれから文庫でも出たし最近はもっと新しい翻訳も出たし。でももったいないので昔買った新潮社版で読む。

 「私」の幼年時代の恋はわかるような気もするけど、スワン氏の恋は理解できるようなできないような。でも理屈で説明できないのが恋というものでしょう。と月並みにまとめるくらいが私には関の山か。結婚してからのスワン氏は少しは幸せになったのだろうか、気になる。

 青梅特快が意外と高確率で座れてしまって、すると足元の暖房が気持ちよく眠りを誘うのでなかなか読み進まないのだけど、今後もこの息の長い文章の独特な世界に浸り続けたいと思います。

 いまは何もしないときに頭の中に『サロメ』が鳴り続けているので、無関係であるにもかかわらず、何となくこの文章とサロメの音楽が私の中で結び付いてしまうような気がして、ちょっと気になるけど…。ヴァントゥイユのソナタ、というのは文字だけの世界で、だっていま私の頭の中では"Ich will deinen Mund kuessen Jochanan!"っていう声が、文字通り常に鳴り続けてるんだもん…。頭の中で鳴り続けてる音って、スイッチオフする方法、ないですよね…。あ、ほかの音楽を聴けばいいのかな?でもヴァントゥイユのソナタは聴けないしね…。